このシリーズは、
理念を表現することや、概念を視覚化することを目的としていない。
むしろ私が関心を向けているのは、イメージが意味を持つ直前の状態、知覚は始まっているが、理解がまだ形成されていない、その境界である。
写真の中では、方向性や奥行き、視覚的な確かさが意図的に弱められている。
上下や前後、明瞭さと不明瞭さといった座標は固定されず、見る者は安定した位置を与えられない。
そこにあるのは、何かを説明するイメージではなく、ためらい続けるイメージである。
このためらいは欠落ではない。
見るという行為は、単に認識することではなく、名付けられない状態に留まり続けることでもある。
「理念の探求」は、写真を主張のための手段としてではなく、思考が一時的に停止する場として扱う試みである。
この作品は結論へと導くことをしない。
ただ、知覚そのものが立ち上がる沈黙と間(ま)を提示する。
ここで問われているのは何が写っているのかではなく、見るという行為がどのように始まるのかである。